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野原で出逢った

野原で出逢った

野原で出逢った生きものが 何かささやきあっているようです 絵肌と色合いで 原っぱを歩いたときの 草のかおりが鼻の奥に よみがえりそうです のどかな中で白に縁どられた それぞれのパーツがひびきあっています 猫らしきものの上の 茶色のパーツ もっと上にもっていきたくなるものですが 低い位置におさえて それでいて窮屈でない むしろ広がりがあるので 不思議です

モノクロームな印象が……

モノクロームな印象が……

モノクロームの作品が 多い印象のなかで 鮮やかな色が目をひきます 全体が四角におさまるような構図で それでもいくらかはみ出したパーツが 窮屈さを避けています ギターや鳥や何かのシンボルが 何をあらわすのか推理するのも愉しいですが それぞれのかたちの 響きあいにも耳を傾けてください

切り絵のようで……

切り絵のようで……

特徴的な形をなぞる線が 今回は白いので 一度しわをつけてのばした色紙を 切って重ねたような不思議な雰囲気です 傾いた建物や窓 それでも全体のバランスがとれているので 落ちついた感じを与えています いつもながら大胆にあいた余白 広場らしき空間が 複雑なかたちで面白みを出しています

メルヘンな絵に見えて……

メルヘンな絵に見えて……

少女の表情が柔らかくて見過ごされがちですが すらされた水平線 猫や花、上空の雲らしきものの絶妙な配置 すきのない緊張感があります

城ヶ崎悟 1996年 大きな首をふたつ 

城ヶ崎悟 1996年 大きな首をふたつ 

絵肌も慎重に細工され タイルをはり合わせたように見える顔は ふちに立体感を出して 一見シンプルな画面に漣が立つような変化を与えています そしていったん描かれて 消されたところに 何があったのか? 消されたあとですら 絵の一部です そもそも顔ふたつに 画面を上下に切っただけで 絵として成立しているのか不思議です

海辺の風景

海辺の風景

うち捨てられたような道具、あるいは船そして人 シンプルな形が三つ並んでいるだけ 絶妙なポジションにあります 平面的な構成ですが空と右上の海らしきもの 色と形が奥行を出して 絵に閉塞感がありません

城ヶ崎悟 1997年 えんとつ‘97 

城ヶ崎悟 1997年 えんとつ‘97 

煙を吐き出すだけ その目的を追求したデザインに美しさを感じるそうです 等間隔に並べていますが右から二つめの場所に空間を作って 画面いっぱい描かれた状態から 息がつまる感じを避けています

ひとつめの哀歌

ひとつめの哀歌

他の画家たちもそうですが メインとなる構図を 追求されるようです 大きさや位置 抽象的な構成や 具象的な構成 いろいろ試すようです どちらがお好きでしょうか?

もうひとつの哀歌

もうひとつの哀歌

セーヌ河

セーヌ河

これだけの少ない色数で 川がキラキラしていることや 船が進んでいる感じや 街に固い建物が林立しているのが 伝わってくるのが不思議です

コーヒーミル

コーヒーミル

余白を残しながら 細心の注意で切り取られる それぞれの物の形が 面白いです 四隅が やはり切り取られたように タペストリーのデザインに 見せてあるのもおしゃれです

これもまた屋根そしてアンテナ

これもまた屋根そしてアンテナ

細かいタッチの積み重ねで 独特の世界観を作り出している 思い切った白い余白の中にも 細心の注意を払った 筆使いが見られる 青と白と茶という シンプルな色の組み合わせ と見せかけて 一つ一つの色合いは深い

ブーメランのような噴煙

ブーメランのような噴煙

三色に 塗り分けられただけの空 枠線の中の塗り残し 逆にはみ出す色 翼のような煙 魚のような飛行船 子ども心あふれる絵ですが 端々まで 緊張感があって 楽しくて愉快なのに コクのある作品になっております

これもまたシルエット

これもまたシルエット

シルエット 一色ではなく 細かく 影がついていて それで立体感 手が膝に乗っている 足が向こうに向いてるのが 分かります 微妙なニュアンスで これだけ表現できるのが 素晴らしいですね

どの段階でも絵になっている

どの段階でも絵になっている

すでにワクワクする 魅力を持った スケッチです 先生より >だいぶ前のもの 右側の器の形が気に入って描いた静物の下絵 柔らかトーンの中にも静かな存在感を出そうと思っていたように思います まだできてません。今描いてもいいかな

ふね

ふね

出前の防波堤や 後ろのドラム缶などが 子供が描くように 視点を わざとずらして 平面的に 真ん中の船は しっかりと立体的に 多様な表現方法が 一つの絵の中に混在していて 調和しているのが 面白いです

切り絵のようでない厚みのあるシルエット

切り絵のようでない厚みのあるシルエット

後ろ姿でしかも シルエットだけなんですが デッサンが確実なので 少し体をよじってる 目がどの辺りを見てる どんな気持ち まで 伝わってきます

もうひとつの紫陽花

もうひとつの紫陽花

真正面から 花をとらえて 対照的な構図と 見えますが 右斜め上に 大きな葉っぱを描いて 縦横の線に反発するような 斜めの流れを作り 花瓶もやや中心を外すことで 不思議な緊張感が 生まれています

似ていることは悪くない

似ていることは悪くない

あちこちに ひかれた黒い線が クレーの絵を思わせると いう人もおられますが クレーは絵に負の感情を 躊躇うことなくぶつけているので 見ていて辛くなります 先生は感情の上澄みを抽出して 線に表していて 見ていてホッとします

少女漫画の挿し絵のようでいて

少女漫画の挿し絵のようでいて

散りばめられた 白い四角が 波のキラめきの ようにも見えるし 一種の装飾 のようにも見えます

紫陽花ふたたび

紫陽花ふたたび

どうしてここまで ものを省いて 絵として成立させうるのか 壁の白も 陶器の白も 同じ色なのに 質感の違いがわかります

紫陽花(完成前)ふたたび

紫陽花(完成前)ふたたび

"完成"前の紫陽花 だそうです これは貴重 よくある花びらを 一枚一枚描くでなく 紫陽花を塊ととらえつつ それでいて硬くならず 花に見える ものの見え方が 全然違うんでしょうね 後ろの空間を 広く取ってるのも大胆ですね 怖くてできないです

1592793889065

1592793889065

先生より >教員時代の作品。妻が気にいってます。 明け方に気持ちが乗って一気に描いたもの、 サインも勢いで書いているようです。 これで完成だと思ったのでしょう。愛おしくもあります。この絵、頭ではなく手が勝手に(と言っては語弊があるでしょうか)描いたって感じです 一番手前の黒く太い 縁石を 描いたような線が ものを描いているようで 他の解釈も許す 不思議なリズムを生み出して いるような気がします

大胆に空を

大胆に空を

先生より >仕事場の壁でした。 「広場のシルエット」0号 巴里だったか、マドリードだったか忘れましたが… みぞえ画廊のホームページではピンクの線が薄いグリーンになってます。 少し広い画面でシルエットの色ももっと塗り込んでみたいと思ってます。 緑をピンクに 塗り替えた 空の 横一本の線 が 太陽反射した雲にも見えるし デザインとしてみた時の 一構成要素にも見えるし 何を空想しても許される とても広がりを感じる

月

月を見ると なんとなくファンタジーな気分になります ほかにも描かれているものは ほんわかしたものが 多いのですが 実は全体としては かなり緊張感があります 月はそんな絵へのいざないです

絵肌もまた

絵肌もまた

マチエール 絵肌とも言うそうですが 砂を混ぜたり皆さん いろいろ工夫されます こちら 元は 1.6 M ✕2 M の作品の 一部を画用紙くらいの大きさに 切り取ったものです その大きさ全体に このマチエール施されています 圧倒されますし 魅力的でもあります

すべてが絵になっていく

すべてが絵になっていく

植木鉢を 廃棄しないといけなくて そのかけらを モルタルに埋め込んで タイルを作られたそうです このタイル作りが 楽しいということで その雰囲気が伝わってきます

装飾のようでそうでない

装飾のようでそうでない

タイルは光にも 模様にも見えます またここまで形を 抽象化して でもぜんぜん難しくもないし とっつきにくくもない メルヘンイラストのようで でも風格がある 不思議な

これもまた描きはじめ

これもまた描きはじめ

先生のコメント >これは絵の具が パレットに残ったので 地塗りのつもりで乗っけていったら こうなってしまったという 別のはじまりの例です。 まだ描き始めなのに すでに絵のルックを 持っている 描いている どの段階でも 絵になっているのが 素晴らしい

描きはじめ

描きはじめ

紫陽花 描き始められたそうです こんなか細く 淡いところから 全てが始まるかと思うと 感動的です 先生からのコメント >手元だけでということで仕方なくOKしたら 画面までしっかり写ってますね。 地塗りもせずに始めるのかと思われそうですね。 私の場合、はじまりは様々です。

二そうのふね

二そうのふね

画質が悪くて 申し訳ないですが 船のフォルムの崩し方 とても面白いです ちょっと思いつかないですね 2隻 並んでるだけなのに 見ていて飽きない

城ヶ崎悟 1999年 水仙と枯れた芙蓉

城ヶ崎悟 1999年 水仙と枯れた芙蓉

花を書く前に何度も デッサンを重ねられるとか そのうち花が枯れてしまう と お聞きしたような 膨大に引かれた線 の中から このシンプルな線が残されたということでしょう

城ヶ崎悟 1972年 タオルを巻いた男 

城ヶ崎悟 1972年 タオルを巻いた男 

ばばっと 一見無造作に 描きなぐったように見える 一つ一つのタッチが 全体としてみると その人を描き出すために 確実なパーツになっている のを見ると こんなん学生の頃に描かれたら 百年たっても追いつけん と思ってしまいます

紫陽花

紫陽花

この季節にあった絵が 上がっておりました どうしてこう 色数の少ない絵が 見ていて飽きないのか なぜか ただの白と 思って見ていても 後ろの白は壁で 前の白は陶器だ とわかりますし 花と花瓶だけの絵ですが 存在感がありますね

雑誌の表紙に

雑誌の表紙に

以前雑誌の表紙を 飾られたそうです ぼくの発想では 海をここまで緑にするのは 思いつきません 船の形もユーモラスですね いつも不思議なのは 横に一本の線を 端から端までひいて 上と下の画面が分離しないことです

城ヶ崎悟 2000年 さくら貝の舟 

城ヶ崎悟 2000年 さくら貝の舟 

絵本のような絵という 印象もおありかもしれませんが ほんわかしていつつ おそらく一センチ四方で切り取っても どこも緊張感のある 画面になってるはずです

城ヶ崎悟 2000年 どんぐり

城ヶ崎悟 2000年 どんぐり

どんぐりがひとつ 転がってるだけで どうして絵になるのか? かすれて見える 画面の中で どうして この木の実が 光って見えるのか?

この絵は好きなのでふたたび

この絵は好きなのでふたたび

確かこれは畳の1.5倍くらいの 大きさだったように思います 画面が大きいと何も描かないのと 間延びしてしまうので 怖くてなんかかんか入れちゃいがちなんですが この 無駄をそぎ落としたシンプルな 画面で 緊張感が保たれてるのが素晴らしいです

城ヶ崎悟 1977年 海辺の家 (桜島) 

城ヶ崎悟 1977年 海辺の家 (桜島) 

ぱっと見、色数は少ないのに 夏の暑い空気を感じます 色数は少ないと言いましたが 影の中の 青とか 細かく紛れそうな色が きらきらしています

森

どうしたら こういう一見 べったりとした描き方で 蛾が 空間に浮いていて 画面の奥に 飛んでいくように見えるのかが 分かりません。

城ヶ崎悟 1992年 器をふたつ

城ヶ崎悟 1992年 器をふたつ

水平線みたいなところが へこんでるように見えるのは キャンバスがへこんでるのではなくて 色で立体感つけておられるんです。 無雑作に描かれているようで どこもかしこも しっかり計算されていて おそらくどの線も1 mm ずれただけでも 変になるんですよね。

スズメのスケッチ

スズメのスケッチ

ここまで力が抜けていて それでいてその本質と言うか中身を しっかりととらえられる線が引ける人を あまり知らないです。 しかもこれだけの情報量で 立体感が出てるのがびっくりです。

ここにも消したあと

ここにも消したあと

一度描かれたものを すっかり消してしまわず わざと残しておられるのも 面白い効果になっています 先生より >湯呑みを一つ描いた絵、最初左手に円筒形のモチーフを描いていたのですが消しました。 よく見るとうっすらとその痕跡が見えると思います。

白いえんとつ

白いえんとつ

ガラス絵 というものだそうです アニメのセル画のように 後ろから色を塗っていくそうで ガサガサした絵肌の面白い 他の作品を見なれていると 不思議な気がするかもしれませんね スライド写真からスキャンしたので 幻燈のようにも見えますね

計算された構図

計算された構図

まず赤い線でみますと 四角い構図になって安定しています そこに黄色 犬の足や旗で斜めの線 青色 自転車のタイヤやその後ろの形で 曲線を入れて 崩しを入れています 安定しているのに 動きがある 面白い構図になっています

城ヶ崎悟 2001年 休日

城ヶ崎悟 2001年 休日

普通画面を 上と下に 切るような水平線は嫌います 二つの別々の絵が くっついてるように見えるからです なのに一体感があります 堤防の線は わずかに傾けることで 少し広がりを感じさせて 窮屈さを避けています シンプルな 構成の中で 船や車の形が工夫されていて 見飽きません

この色で合ってます

この色で合ってます

デッサンの 確かさがわかりやすい作品 試しにハイライトの所を 指で隠してみてください そこに明るい色がないと 柔らかさが出なかったり 画面全体が しまりがなくなったり するのに気が付かれるはずです 明るい部分を 白以外の色で表現できるのも テクニックです

はずす

はずす

基本、水平垂直な線の 安定した構図です ところが 延長すれば重なるはずの線が ずらしてあったり 花瓶が中心から外れていたり 一枚だけ葉っぱが斜めになっていたり 全体に 躍動感を 与えています

カゼノウツワ

カゼノウツワ

新作です カゼノウツワ あるいは コレクションという題だそうです シンメトリーな器を どのように崩して 面白味をつけようとしているか ご覧いただけると嬉しいです

消したあと

消したあと

本当は 何かあったんだよ 消したけど あったんだ とここまでが表現なの だそうです 上手く言えませんが 優しさのようなものを感じます

桜島・空・月

桜島・空・月

当然 実際の空に こんな色の塗り分けは ないわけですが わざと縦長の画面を作って 装飾的な処理をしているのが 面白いです それぞれ一色の中に濃淡があって 調子がついていることも 楽しんでください

花

周りの余白 何も描いてないという 表現だそうです ( 実際には濃淡がついて  何も描いてないワケで  はないのですが) バランスをとるために 中心線からずれていたり 一見平面で花が 外を向いているので 立体を感じたり 同色で視線を誘導したり 仕掛けを楽しんでください

器

>どうやって画題を見つけているのですか? いつも小さなスケッチブックをポケットに入れ、出会ったモノを描き留めます。 時々、描き貯めたモノや書き貯めたモノを、ページをめぐりながら見返します。 想いのアニメーションみたいなものです。 形と象が出会う時、無限にイメージが、物語が産まれてきます。 それこそ言葉で伝えられないモノです。それでも言葉にならなくてもスケッチの余白に言葉を書きます。単語でもいい。 でもなぜそのモノに惹かれたのか分からないことがよくあるものです。 もしかしたらそのモノは日頃から探しているものの手掛かりなのかもしれません。

デッサン

デッサン

学生時代のですが 普通オレンジの格子のような 背面処理はされないようで 木炭デッサンされてる方からしたら 不思議かもです 赤丸の 描き込まれた線と そうでない線 緑丸のように 要所要所きめていかれる 省略とそうでない部分 全体が今の絵と通じるところが あります

スケッチ

スケッチ

先生より >やっとサインが入りました。 上はボーッとしている時に生まれた構図。 下はミツバチミツバチとレンゲの花を組み合わせて描こうとしたのですが花の形がしっくりこず、線を引っ張って紫を塗って、レンゲ畑の上を飛んでいるミツバチにしました。 花を一つ一つ描くと 複雑になるので 花畑として面にして シンプルに処理された模様です

屋根裏物語

屋根裏物語

同じ色を使って 全体にリズムを作っています 余白に谷間を作って この作品を窮屈さから救っています 何より窓一つ一つの造形が とても興味深いので よくよくご覧になってください

屋根の上に屋根

屋根の上に屋根

この小さなアンテナが 効いてます 同じものが並ぶと人は 面白味を感じるらしく 微妙に違うことによって 画面に奥行きが出ています 構図も大胆でつい見入ってしまいます

ヴァガボン

ヴァガボン

モデルの方に 大きく気持ちを寄せているのが 感じられます 先生は留学当時 パリの下町に住んで いわゆる路上生活者のような方と 親しく過ごされたそうで その中のお一人でしょう その方の尊厳も伝わります 顔が微妙な濃淡で立体が表現され 衣服の模様が大胆なタッチで

えんとつになった男 2011

えんとつになった男 2011

機能を追及した デザインは美しい 煙突の煙を出すという機能に 特化したデザインです ですから美しく感じた 眺めているうちにそれは 人間と同じだなと感じられた それでこの絵ができたそうです

紫陽花(完成前)

紫陽花(完成前)

PVの中で完成後に 右下の葉っぱが 消されていることを ご説明しました ここまで描きあげて 消してしまうのは かなり勇気のいることです 惜しむ気持ちなど 振りきって完成された絵は たしかにシンプルですが 力強いです

オフビートと言いますか

オフビートと言いますか

もう少し右 ずれてるんじゃないかなあとか 傾いているんじゃないかなとか 意図的なずらしが どんな効果を生んでるか 謎解きを楽しんでみてください

はしる

はしる

先生より 個展の時のお話 >サムホーム 「はしる」 6,7年位前の作品 ある母娘が欲しがっていた作品。「さとる基金」を作っていると言ってました。 気がついたらいなくなっていて、未だにその時のことが忘れられません。

城ヶ崎悟 1999年 よっつのかたち

城ヶ崎悟 1999年 よっつのかたち

見えているものには 周りと区別する線はありません それでも絵にするためには 線を引かないといけないわけで ない線を引きながら そのものが立体的であったり 硬いとか柔らかいとか いろいろなことを感じさせるためには 線を引くのに集中力が求められるそうです

「風俗画風」1995年 F150

「風俗画風」1995年 F150

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木にまつわる人々

木にまつわる人々

ある研究によりますと 点が三つ並ぶと 人の顔に見えると言う性質が 人間にはあるそうです 記号化して 情報を落とした表情にも 微妙なニュアンスを私たちは 感じることができるようです 別の点では水平線で切った絵が 上下バラバラに見えないというのも 技術的にすごいところです

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みゆき画廊

みゆき画廊

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午後の静物

午後の静物

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わたしの場所

二十歳の自画像

午後の静物 2007年

午後の静物 2007年

一日の終わりに

一日の終わりに

2007頃~2014にかけて制作 農夫日焼けした顔に 一日の終わりに吹く風は やさしい スコップを手にした すこしぎこちないその男は いまは亡き父であり また わたしでもある

落穂拾い5

落穂拾い5

哀歌

哀歌

煙突になった男

国分からの桜島

台地

私の居場所100

私の居場所100

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